酒飲亭いさんの落語ごろごろノート

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zoom RSS 横手いいトコ

<<   作成日時 : 2015/10/11 09:01   >>

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急に休みになったので秋田に行ってきました。
ノープランながら、以前から角館には行ってみたいと思ってました。
真直ぐ向かうつもりでしたが途中で立ち寄った横手がなかなか良かった。

横手にはちょっとした縁がありまして、
落研の同期Tクンが横手出身だった。
4年間怠惰な落研ライフをともにした訳です。
ウチの会は茨城出身者が一大派閥を形成してまして、
秋田出身のTクンは茨城県人のカタキ的存在でありました。
彼らに言わせると、
水戸が日本三大ブ○の産地となったのは秋田のせい!
佐竹候が秋田に移封になったときに、
水戸の美人を洗いざらい連れて行ってしまったそうな。
そのため水戸にはブ○しかおらず、
反対に秋田は美人ばかりになったとか。
このような俗説が落研内部ではまことしやかに流布してました。

それはさておき、偶然立ち寄った「払田(ほった)の柵」、
アタクシの歴史ゴコロを刺激してくれました。
まず縄文遺跡が秋田県内いたるところに散在しています。
たぶん今現在人の住んでる所には縄文の頃から既に住んでいたんでしょう。
蝦夷と言うとアイヌを連想しますが、
弥生期を通して人種的には混血も進んだんでしょうが、
文化的にはアイヌの風俗が色濃く保存されていたようです。
それから大和国家と東北の侵略の歴史ですな。
前九年、後三年の役がその総決算。
横手の近くには「後三年」って駅がありますね。
この辺がその舞台の一つ。
横手盆地は高台から眺めると、広さと稔りの季節の彩りで、
まことに豊穣の大地って感じです。
教科書で習った後三年の役の暗い凄惨なイメージにはちょっとそぐわない。
豊かだったからこそ戦いは激しくなるんでしょうな。

そういや、藤原三代の墓の発掘調査がされたとき、
人種的には紛れも無い和人でしたが、
着ているモノがアイヌの特徴的な刺繍の入ったもので、
これはアタシにはけっこう衝撃でした。
蝦夷といわれたのも頷けるところ。
ただこの蝦夷ってえのは、
今は蔑称としか感じませんが、
「蘇我蝦夷」のように大和の有力豪族が名前にしているところを見ると、
恐らくその時代には「薩摩隼人」のように、
強勢のものの代名詞的な意味合いが強かったのでと思います。
謂わば「悪太郎」てな雰囲気でしょうか。

そんなことを考えつつお目当ての角舘へ…

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