酒飲亭いさんの落語ごろごろノート

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zoom RSS 「しゃがむ女」から縄文人の生死観をうかがう

<<   作成日時 : 2016/03/31 12:19   >>

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前回の土偶を「しゃがむ女」と紹介してますが、
これはアタシの勝手な命名で、
そう名づけられている訳ではありません。アシカラズ

お産の姿かも?というのは、手の形にあります。
土の人形なので細かな表現はされてないのですが、
何かを握っているような形に見えなくもありません。
立てた棒を握ってイキム姿に私には感じられます。

そして前回も書きましたが、腹部の曲線が本当に素晴らしい。
映画「華麗なるギャッツビー」に出てきたクラッシックカーのフロントの丸みのようです。
近代工業の産物の中で最も優美なフォルムと、
福島の片田舎で発掘された数千年前の土人形に、
共通の曲線が存在してるってえのがビックリポン。
一発でこの土偶に魅せられました。

さて最近、縄文時代にひかれています。
この頃まだ文字はない、出土物から想像するしかありません。
子供のころの印象は教科書に出てた遮光器土偶の、
おどろおどろしい感じしかありませんでしたが、
このところの発掘調査でだいぶ縄文人の生活がイメージできるようになってます。
誕生して成長し衣食住の技術を身につけ、結婚して子を産み育て、
そして死んでいく、人としての営みが想像できます。

先日「まほろん」で学芸員の方とお話して感じたのですが、
この辺までの縄文のイメージは共有していても、
ここから先、縄文人が幸せだったか不幸だったかは、
個人の価値観でずい分違ってくるものです。

平均寿命30年、女性は初潮を迎えると間もなく結婚して出産、
けれどもこれが難事業で命を落とすことも多く、
無事に生まれても育つ確率は半分くらい、
些細なことであっけなく亡くなってしまい悲嘆にくれる。
「悲惨なことの多いツマラナイ人生だったと思いますよ」
とクダンの学芸員さんは仰っておりました。

確かに事実はそうでしょうが、
それで縄文人がそれほど不幸と感じていたとは思えません。
そんな訳ないじゃろ。
アタシャお気楽な性格だと自負してますんでねぇ…

そもそも幸不幸は回りと比較して分る(というか思い込む)ことで、
全ての人がそうなら、それは当り前田のクラッカー。
現代だって理不尽に命を落とすことは間々あることで、
そりゃ縄文に比べれば圧倒的にレアケースでしょう。
でも本質は全く同じです。
問題は、生死観というか心の拠りどころというか、
人間という生き物をどういう風に理解しているかにかかっていると思います。

「土器送り」などの縄文の祭祀から、
アイヌの世界観に近かったといわれています。
イヨマンテ(熊送り)のように、
「こんなに盛大に送ってくれて、あの村はいい所だ。
だから皆、あの村に再び生まれて行こう」
となる様にとの願いが込められているそうですが、
(殺されてるのにそうなる訳がわかりませんが…)
全てのモノ(器物も含めて)に魂があって、
死んであの世に行っても再び還ってくるという、
アニミズム的な世界観を持っていたのでしょう。

翻って、今の教育で育ったアタシなどは、
目に見える検証可能な事実しか信じておりません。
科学は絶対だと思っております。
しかしながら、これだけじゃ死に対してあまりにも無策です。
死ねば無になるというのでは、
それは恐怖の対象以外の何ものでもあり得ません。
そうですよ、死後の世界があって、魂は復活すると考えて、
はじめて死を受け入れる心の準備ができるように思います。

まあそんなようなことを最近思ってまして、
それで縄文時代に心引かれているのであります。
チャンチャン

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